花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
入道前太政大臣
<現代語訳>
桜の花を誘って吹き散らしてゆく、
山嵐が吹く庭で降りゆく花の雪。
いや、そうではない。
実際は、旧りゆく(=老いてゆく)ものは
私自身であるのだろうな。
<解説>
第九十六番。
老残の悲哀を詠んだ歌。
上の句で、雪のように降る花吹雪の華麗さを歌い、
下の句で、「老い」を詠んだ作者の心境は、
風邪に散ってゆく桜の花びらのように、
人の生命も儚く、脆いものだと、
そのように感じられてなりません。
入道前太政大臣(=藤原公経)は、藤原定家の義弟。
承久の乱では鎌倉方に内通し、
その後、幕府の権勢を背景に栄華を誇りました。
その彼にして、この歌です。
年は取りたくないな、と思ってしまいます。
可能だとは思えませんが。
存在
誰かに負けたくないと、
そう考えたことはありますか。
私が私であり続けるためには、
勝ち続けなければなりません。
他人に。
そして、昨日までの自分に。
使い古された、陳腐なフレーズですが。
(夏なので涼しげな壁紙に変えてみました。)
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