誰をかも  知る人にせむ  高砂の  

   松も昔の 友ならなくに

                     藤原興風  


<現代語訳>

 すっかりと年老いてしまったものです。

 私は一体、誰を友とすればいいのでしょうね。

 もう昔を知っている相手など
 長寿の高砂の松くらいでしょうに
 その松すら昔なじみの友人ではないのだから。

<解説>

 第三十四番。
 高砂な松は長生きするもののたとえです。
 年老いて、自分を知っていてくれる人など
 誰もいなくなってしまった心境を歌っています。

 でも、自分を知っていてくれる松だって
 実は友達じゃないんだよ、と。

 この歌、大学院博士課程(Dr)の学生にとっては
 非常に身につまされるのではないでしょうか。
 周りの学生は、自分のことを知ることは知っているけれども
 親しく話をすることは不可能。
 学生、とは言っても、複雑な立場ですよね。





 尊敬している人がいた。
 真面目で、苦労を厭わない人だった。
 でも、そのせいか、勘違いばかりされていた。
 この人は損をしてるな、と、そう思った。

 ある日、その先輩の同期生や先輩が遊びに来た。
「お久しぶりです!」
 先輩の嬉しそうな声が忘れられない。

 ああ、この人は淋しいんだな、と
 そう思った。  





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