滝の音は  たえて久しく  なりぬれど 

  名こそ流れて  なほ聞こえけれ

                     大納言公任  


<現代語訳>

 滝の水音が聞こえなくなってから
 ずいぶん長い年月がたってしまいました。

 しかし、その滝の名だけは世間に流れ伝わり
 今なお、やはり聞こえていることです。

<解説>

 第五十五番。
 京都嵯峨、大覚寺。
 嵯峨天皇(第五十二代)の離宮には
 立派な滝が流れていました。

 しかし、大納言(藤原)公任の時代、水のなくなったそれは
 すでに「滝」とは呼べないものになってしまっています。

 ただ、ここに立派な滝が流れていた、と言う風情、
 昔を懐かしむ懐古の情から、この歌が生まれています。

 ちなみに、この歌をもとに、今でも大覚寺には「名古曾の滝」跡が存在します。




 今度は滝ですか。

 なかなかに、アウトドアには向かない猫目は
 最近では自然にふれあうことすらないように感じます。

 私の中の自然とは
 車の窓越しの通学路であったり、
 ヘルメット越しの茶畑であったり。

 ただ以前、近所の藤棚の藤の美しさに
 下でしばらく、ぼ〜っと眺めていて
 その家の人に不審がられた経験があります。    





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