浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき
参議 等
<現代語訳>
浅茅生の小野の篠原ではないが、この恋しさを忍びこらえようとしても、
思い余ってこらえきれぬほどに、どうしてこんなにもあなたのことが恋しくてならないのでしょうか。
<解説>
第三十九番。
浅茅生の小野の篠原がどんなところなのか
私には皆目見当もつきません。
まいりました、参議 等(ひとし)。
篠原の「しの」と、忍ぶの「しの」を掛けているくらいでしょうか、私にわかるのは。
上二句は「しの」の序詞、らしいです、はい。
まいったな。
11月11日、追記:
この歌の解釈として「浅茅原」と呼ばれた野っ原が存在しており
茅というのは、裏寂れた場所に生い茂る、丈の高い草のこと。
裏寂れた野原の丈の高い草原の中みたいな、
人目に全くつかないところで忍ぶようなものなのに
忍び隠しきれない激情かな、というところ。
また、京都のはずれには小野という地名が存在しており
小野篁・小野深養父などの歌人縁の場所、とか。
ちなみに、京都の地名「化野」「紫野」「鳥辺野」など
野のつく地名は全て古代は風葬地のようです。
鳥辺野は鳥葬もしていたのでしょう。
これらの事項から類推するとこの歌は、
「風葬地の茅に埋もれた骸のように、人目につかぬように隠れ忍び」
また「そうして死ぬほど恋しい、しかし忍びきれない激情」
という意味合いになることだと思われます。
H君、御協力感謝します。
私ではここまでは調べられません。
こらえきれない思いは熱情であり、激情であり、passion であります。
誰にだって、そのくらい激しい感情をもつことは必ずあります。
時にはそれは衝動となり、人を動かすのでしょう。
思わず、高い買い物をしてしまったり(笑)
でも、どうにもならないことって、ありますよね?
「これだけは、死んでも欲しい!」みたいな
・・・ああ、これは失礼。
ちょっと今日は砕け気味(笑)
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